豪華ヨットとピカソ美術館で有名なアンチーブ

日本の方々にはピカソ美術館があることでよく知られているアンチーブですが、他にも色々な見所があって私のお気に入りの街の一つです。

タイトルをクリックするとその内容へジャンプできます。

☆ 地理・人口
☆ アンチーブの歴史
☆ 観光情報
☆ ホテル
☆ レストラン
☆ イベント
☆ アクセス
☆ リンク

*こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。
*お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。

☆ 地理・人口

ニースとカンヌの間、ニースから南西に約23キロ、カンヌから東に約10キロに位置するアンチーブは、人口約7万5千人で、コートダジュールでニースの次に大きな街です。アンチーブ岬は、ニースのビーチからも右側に見ることができます。

☆ アンチーブの歴史

アンティポリスからアンティーブへ
アンティーブ・ジュアンレパンの歴史は、数千年に富んでいます。紀元前5世紀に、ギリシャ人はマルセイユを設立し、ニース(ニカイア)を創る前に、アンティポリスとよばれる交易地、現在のアンチーブにつくります。

アンチポリターナの町

ローマ時代になってアンティポリスはかなり成長します。ガリアの主要道路の一つのオレリア街道は、多くのモニュメント(劇場、劇場、アゴラ、浴場、水路、凱旋門)のある都市を結び経済発展を促し、ワイン、油や陶器を運ぶ船が多く通過する重要な市場となってゆきます。一方、町は、地域資源、特に漁業や塩田を開発していきます。町では、ローマと同じ食事が作れるように様々な調味料が作られます。

アンチポリスからアンチブール

コンスタンティヌスの治世の後、ローマ帝国は、アンティーブ国を残して崩壊します。アンティポリスはアンチブール(Antiboul)と名付けられて、聖Hermentaireが442年に最初の司教となります。しかし、地域に不安が残り、特に海上貿易での経済は促進しません。
当時のイスラム教徒サラセン人たちが海岸から頻繁に侵入します。 1243年には、インノケンティウス4世は、市内はもはや安全ではないとして、グラースへ教会を移すことにします。

アンチーブ ロイヤル・シティー

1481年にフランス・プロヴァンスへ併合され、アンティーブはニース伯領とサヴォイア国という隣国に面した王国の最後の砦となります。そして、ヨーロッパの支配のためのチャールズ5世とフランソワ1世の間の戦争の渦中に置かれることとなります。すでに1524年に破壊されたアンティーブの町は、カール5世に賛同するアンドレア・ドリアの艦隊からの強力なサポートを受けた50,000人の強力かつ経験豊富な軍隊によって、1536年には陸と海ともに包囲され、略奪されます。16世紀の後半に、プロヴァンスは戦火と血にまみれます。宗教戦争により、スペイン王フェリペ2世が率いる新たな侵略を受けます。同盟国、サヴォイ公爵は、アンチーブを再び包囲し略奪します。アンリ4世は、エペルノン公爵を急いで送り1592年12月6日町を奪回します。アンリ4世によるブルターニュ平定とナントの勅令が公布され、戦闘は中断されます。 1600年、アンティーブはイタリアから来たマリー・ド・メディチ、新しいフランスの女王を受け入れます。

オーストリア継承戦争中の1746年の歴史上最悪の包囲を見る前に、ルイ14世は有名な軍事建築家ヴォーバンに市内の防衛の強化を託し、ヴォーバンは要塞を再構想します。サド伯ジョセフ·デビッド司令官の指揮の下、アンティーブは2,600個の爆弾と200の火炎瓶によるオーストリアの57日の攻撃に英雄的に抵抗します。2月1日に、包囲はついに終了します。

アンチーブとフランス帝国

フランス革命中は、アンチーブは比較的穏やかです。トゥーロンの包囲中に若い将軍ボナパルトが名を挙げる前に、彼の家族はアンティーブに住んでいます。
ナポレオン皇帝となり、ニース出身のマセナ氏やアンチーブ出身のオノレ・シャルル・レイユ氏などの国の重要な人物に指示される様になります。そのためにナポレオンはエルベ島から脱出した時にゴルフ・ジュアンに1815年3月1日に上陸し、アンチーブに停泊しようとします。しかし時間が経っていたため、アンチーブの人々はナポレオンに対して冷たい態度を示したたため、ナポレオンはアンチーブを避けていくこととなります。ルイ18世は、そんなアンチーブの皇帝への忠誠への報酬として前に自らが剥奪した「良い町」称号を再度与えます。

Antibes La vague

新しい時代

フランスとサヴォイア家の長い争いの後、ニース伯領は1860年にフランス領となります。
その後、要塞の中から外へと発展して行きます。陸側の城壁は取り除かれますが、Le Front de Mer という海側の城壁と16世紀に造られたLe Fort Carréカレ砦(歴史的建造物指定)は今でも見られます。
まずアンティーブ岬を開発し、園芸が発展して行きます。そして1882年にはジュアン·レ·パンの海水浴場を造り、コートダジュールの観光業の驚異的な発展とともに、世界の政治界・芸術界の有名人(ピカソ、マレーネ·ディートリッヒ、ケネディファミリーなど)が訪れるようになります。

アメリカのストーリー

実際には、ジュアン・レパンの冒険は、第一次世界大戦後に始まります。伝統的には、暑い夏の間、人は少なかったのですが、自由なアメリカ人のお陰で太陽が出ている時間でも海水浴をする人々が増えていきます。いくつかの隠れた別荘のある松林の中、米国鉄道王の相続人であるフランク·ジェイ·グールドは、海岸の最初の夏のおしゃれなリゾート地を造ります。

ドーヴィルの主唱者の1人のフランスのエドゥアール・ボドワンと共同で、彼は海辺の古いカジノを買い取り、海岸沿いで最も美しく活発なカジノへと変容させます。そして国際的な知的エリートや有名人(スコット・フィッツジェラルド、チャーリー・チャップリン、マレーネ・ディートリッヒ、ジョン・ドス・パソス、ピカソなど)が訪れるようになります。

映画にもなっている「グレート・ギャッツビー」の原作を書いたアメリカの有名な小説家フランシス・スコット・フィッツジェラルドは、アンティーブ岬とジュアンに滞在し、有名な小説「夜はやさし」や傑作「ジャズ・エイジの物語」を書きます。1927年5月には、フランク・ジェイ・グールドの息子フランク・ジェイ・グールドがコートダジュール最初の超高級ホテルを造ります。そして、カジノと共にジュアンへ人々を引きつけることとなります。その時から、ジュアンレパンはファッショナブルなリゾート地となり、時とともに欧州の最も有名なリゾート地となっていきます。

☆ 観光情報

PLENSA-7 300アンチーブは電車で来て、徒歩で旧市街等を廻ることができます。車があるとさらに範囲が広がって素敵な海を見にアンチーブ岬へ行くことができます。

アンチーブの旧市街の見所は、旧市街の奇麗なお店とピカソ美術館プロヴァンス市場ペイネ美術館です。

ピカソ美術館には、ピカソの作品自体はそれほど多くないのですが、ピカソが実際に絵を描いていたアトリエに入って雰囲気を味わうことができます。

入場料6ユーロ、月曜日以外の毎日 9月16日-6月14日 : 10時- 12時/14時-18時、6月15日-9月15日 : 10時 – 18時(17時30分までに入場)7月、8月の水・金曜日は20時までオープン(19時30分までに入場)
休館日:1月1日、5月1日、11月1日、12月25日

ペイネ美術館は、入場料3ユーロ、月曜日以外の毎日10時-12時/14時-18時に開いています。休館日:1月1日、5月1日、11月1日、12月25日

プロヴァンス市場は、ピカソ美術館の近くのMasséna広場にあって屋根付きです。月曜日以外の毎日6時-13時に開かれています。

モナコの3つ星レストラン「デユカス」のパンを作っているパン屋さん「boulangerie Véziano」も旧市街の中にあります(住所 2, rue de la Pompe Antibes)。また「Pierrot la lune」(住所:8 rue James close Antibes)というおもちゃ屋さんも素敵です。

カップ・アンチーブ(アンチーブ岬)もすばらしくて、車ですぐに行くことができます。アンチーブ岬を徒歩でお散歩するのはとても気持がいいです。もしくは、一日プライベートビーチでのんびり過ごすのもいいですね。
岬にあるLa garoupe灯台からの景色もとても奇麗です。地元も人たちは、砂浜のla Salisビーチが好みなようです。

☆ ホテル

カンヌ映画祭の時に、一流監督達が宿泊する(日本人では黒澤監督が宿泊しました)「エデンロック」という高級ホテルと素晴らしいレストランがあります。このホテルに宿泊するには、5泊以上の予約が必要とのことです。ホテル内のレストランでは宿泊していなくてもお食事ができますし、プールにも有料で入ることができます。

Chemin Douaniers

☆ レストラン

私は、アンチーブ岬にある一つ星レストラン「les Pêcheurs」が好きです(住所:10 Boulevard Maréchal Juin06160 Cap d’Antibes)。レストランから海が見えて、お魚もとても美味しいです。

ニース側には、ブイヤベースが食べられる1つ星レストラン「Le Bacon」(住所Boulevard de Bacon Cap d’Antibes)もあります。レストランから見えるアンチーブと海の景色が素晴らしいです!

☆マイコートダジュールでは、アンチーブとカンヌへご案内する半日ツアー(午後)を催行してます。

アンチーブ岬などでごゆっくり過ごされたい場合は貸切チャーターでご案内も可能です。

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☆イベント

アンチーブの隣「ジュアンレパン」では有名なジャズフェスティバルが毎年7月中旬に行われています。2013年には日本人アーチストも参加しました。
昼間はビーチ、夜はジャズで楽しい夏休みはいかがでしょうか。

☆アクセス

・電車

ニースからは、カンヌ方面行きのTER電車で20分程度
カンヌからは、ニース方面行きのTER電車で10分程度
時刻表は、こちらのサイトの左側の枠に駅名 「Nice-Ville」 その下に「gare de ANTIBES」と入力し日時を選び、右下の青いボタンを押すと出てきます。

・バス

ニースからはメリディアンホテル前発のカンヌ行きの200番のバスで1時間30分程度
カンヌからは市庁舎前発のニース行きの200番のバスで30分程度
中心街に一番近いバス停は、「Directeur Chaudon」という名前でジェネラルドゴール広場付近モノプリのスーパーの近くです。比較的降りる人が多いバス停ですが、分かりにくいので事前に運転手に確認された方がよいでしょう。

バスの本数は、月−土:15分-20分ごと、18時以降は本数減、6時−21時45分運行。
日曜・祝祭日:20-30分ごと18時以降は本数減、7時45分−21時40分運行。時刻表はこちら
運賃は1.5ユーロ

ニース空港から

バス:ターミナル1か2のバス乗り場から250番EXPRESS
片道10ユーロ、往復15ユーロ
時刻表はこちら

☆リンク

アンチーブ・ジュアンレパン観光案内所サイト英語