ムスティア・サント・マリーは、”フランスのグランドキャニオン”と言われている壮大なウェルドン峡谷とエメラルド色の美しいサント・クロワ湖の近くにあって、フランスの最も美しい村の一つです。
⭐︎地理・人口
1981年に「フランスの最も美しい村のひとつ」として認められたムスティエ・サントマリーは、南フランスのアルプ・ド・オート・プロヴァンス県に山の中腹に位置します。
アクセスはしにくい場所なのですが、夏は観光客で賑わっています。
現在、ムスティエの人口は700人程度です。 経済の中心は、観光と伝統的な「ムスティエ焼き」の陶器です。
⭐︎歴史
ムスティエの村の近くに人が住んでいた痕跡は、3万年前のクロマニヨンの時代にまでさかのぼります。
青銅器時代に、リグリア部族は周囲の高原を占有し、oppidasと呼ばれる要塞を築き定住します。
現在の村に人が住み始めたのは5世紀からです。カンヌの近くにあるレランス諸島の修道士たちが 凝炭岩の洞窟に住み始め、6世紀には修道院を設立します。ムスティエ=サント=マリーという名前は、この教会があったことに由来しています(中世には、修道院はモナステリオMonasterio と言われていました。
470年に既に建てられていた聖母マリア聖堂があった場所にノートルダム・ド・ボーヴォワール礼拝堂が建てられます。
10〜11世紀にはムーア人の侵略があったので、近隣住民は身を守るために洞窟に隠れます。12〜13世紀には要塞や家が建てられ、ADOUの渓流には水車が造られます。
14世紀では、1348年のペストに加えて、 プロヴァンス伯爵領の後継争いで村の人口は減ります。
16世紀には、水力を使ったなめし革業、製紙業などが盛んになって村は勢いを取り戻します。しかし、17世紀の初めにはひどい悪天候のためにインフラや村の機能が弱まり、村の人口は再び激減ってしまいます。
17世紀の終わり〜19世紀には、ムスティエ陶器技術が発展します。
ムスティエ陶器の歴史
中世から、ムスティエの陶器技術は発展してきます。当初は、緑と茶色の自然な色合いの釉をかけた陶器が作られてました。1668年にレランス修道院からイタリアの修道士がムスティエにきた時に、白い釉(スズを含む陶器)の作り方の秘訣を伝えます。
ルイ14世は王国の財政を救済するために、金や銀の食器を溶かすように命じたため、代わりにムスティエの陶器が、ヨーロッパの宮廷界で最高の名声を得ることになります。
磁器とイギリス陶器が流行り始めると、2世紀に渡るムスティエの陶器活動に終止符が打たれます。 1927年、マルセル・プロヴァンス氏はムスティエ陶器の村のイメージを復活させるために、再び陶器を製作します。現在、11のムスティエ陶器のアトリエがあり、マルセル・プロヴァンス氏に捧げ博物館では、ムスティエの伝統的な陶器を見ることができます。
⭐︎アクセス
ニースからアクセスの仕方は2つあります。
一つ目は、ウェルドン峡谷(Les Gorges du Verdon)を通る道です。”フランスのグランドキャニオン”と言われている、ヨーロッパで一番大きくてよく知られています(ヨーロッパで標高が一番高い峡谷です)。
二つ目は、サント・クロワ湖からのアクセスです。こちらの方が道路は良いです。こちらの道でも到着する前にウェルドン峡谷の壮大な眺めが見られます(写真参照)。湖では約1時間のボートを借りることもできます。ボートは予約制ではないのと夏にはたくさんの人がいます。
⭐︎観光案内
村の中は急な坂になっていて、もちろん歩行者専用です。村の途中には、川が流れ、夏でも涼しいです。小さな村ですので、すぐに回れます。村の一番上には、星が飾られていて(いくつかの言い伝えがあります)チャペル、ノートルダム・ド・ボーヴォワール礼拝堂もあります。 礼拝堂まで262段の階段を上がっていくこともできます。
村には多くの陶器家がいます。ムスティエの陶器ならではのモチーフが描かれています。村にあるアトリエで陶器家たちの手で作られています。
⭐︎レストラン
約20のレストランがあり、洗練されたグルメ、ブラッセリー、地元の料理が食べられます。村の中には、小さなレストランがいくつかあります。 私が好きなのは、古い回廊にある “les tables du cloître(回廊のテーブル)”です。”les santons”と “la treille”はよく知られているお店です。
⭐︎ホテル
宿泊施設は、村の中心部と郊外には全部で130のホテル客室、約20のベッド&ブレイクファストがあります。
私がオススメするホテルは、デュカスのLa Bastideです。 少し穴場的なところです。 それほど高くなくて、とても美味しい食事が食べられます。採れたての野菜を使ってその日の料理が作られています。 とても静かです。
⭐︎近郊の観光名所
ムスティエは、ラベンダー畑の広がるヴァロンソル高原(Valensole)の近くにあります。
ヴァロンソル村からマノスク方面にはラベンダー畑だけではなくヒマワリ畑もあって、壮大な景色が見られます。
ヴァロンソル高原のラベンダーは、初めはグラースの香料会社のための原料として栽培されます。当時は貧しい村だったので、女性や子どもだけでも重労働なく栽培ができるということで多くの家族がラベンダー栽培を始めたのです。
マイコートダジュールツアーズでは、ムスティエサントマリーとラベンダー畑の美しいヴァロンソル高原へご案内するツアーを時期限定で開催しています!
⭐︎リンク
ムスティエ・サント・マリー観光局